「それ」を実現するために

我々の役割は、「「それ」をすべきである」と説教することではない。「それ」が実現するような環境を設計し、実装し、運用することである。これがまず大前提。
たとえば、「事実に基づいた議論」を要請するのであれば、統計データ等を容易に(「リテラシーの高い人」以外にとっても本当に容易に)参照できるようなサービスを提供し、さらに、それを活用することのインセンティブをサービス内に組み込まなければならない。
次に、「事実に基づいた議論」というものがどのようなものであり、どのような「通俗的な印象論に反する」理解をもたらし、そのことによってどのような具体的な行動指針が導出され、これらすべてにかかるコストが(想像されているよりも)いかに少ないか、を例示しなければならない。さらに、そのような議論とその集積を支援するような情報表現とコミュニケーションのプラットフォーム*1を設計・実装・運用することによって、実際に「それが起こる」状態を作り出す必要がある。

一方、「それ」が定着しないのは、「それ」が無くとも不都合無く生きていける環境があるからだとも考えられる。「それ」が無いことが不都合をもたらしているにもかかわらず「それ」が定着しないのは、その不都合の可視化・当事者化に失敗しているからだ。「不都合の可視化・当事者化」を行っても「それ」が実現しないのは、前者から後者に至る動線が可視化されていないこと、その動線を自分がたどることが出来るという自己効力感を醸成できていないことが原因だ。
裏返せば、これらを全て設計・実装・運用することで「それ」は実現する。
問題は、このような広汎で息の長い「プロジェクト」を誰が担いうるか、ということだ。大抵の人間が「「それ」の提示」のみしか行わないのは、プロジェクト化の不可能性(報われなさ)を骨身にしみて知っているからだとも考えられる。すなわちここにもう一つの問題、設計・実装・運用をトータルで実施するプロジェクトのための「組織化」、という問題が存在することが理解できる。これは複数の人間で行うプロジェクトの場合に限らない。個人が、自分の時間をどのように長期にわたって「組織化」するか、という問題も同様である。
この難題に対して、「システム思考」の分野は「レバレッジ」という概念を提案する。これについては大いに関心はあるが、残念ながら、いまだかつて実感できたためしがない。

*1:実はそのような「プラットフォーム」の構想はすでにある。技術と資金が無いだけ。って、これが無くてどうするんだよ、という話だが。