我々が獲得するリソースの価値

我々が獲得する知識、スキル、経験、資格、資産、人脈など(以後単に「リソース」と呼ぶ)の生み出す価値は、「(A)自分自身にとっての価値」と「他人にとっての価値」に分けられる。後者はさらに、「(B)自分の属しているコミュニティの構成メンバーにとっての価値」と「(C)自分の属しているコミュニティ以外の誰かにとっての価値」に分けられる。

自分が一生同じコミュニティに属し続ける場合には、Bを生み出すリソースを獲得することが合理的である。一方、自分が複数のコミュニティを転々とする場合(あるいは同時に複数のコミュニティに帰属する場合)にはCが必要で、しかもそれら複数のコミュニティでいずれも価値を生み出しうるようなポータビリティーの高いリソースを獲得することが合理的である。

しかしながら、いずれの場合でも、そのリソースが「(A)自分自身にとっての価値」をもたらさなければ、我々は不全感を抱えざるを得ない。従って、自分が一生同じコミュニティに属し続けるような社会環境ではAとB、そうでなければAとCをを同時に生み出すようなリソースの獲得が課題となる。器用な人間ならば、それぞれを個別に生み出す別種のリソースを獲得し、自分用と他人用に使い分けるかもしれない。

ここで重要なのは、B,Cを生み出すリソースを獲得するだけでは我々は満たされないということである。複数のコミュニティを転々としなければならない社会環境において、B,Cを生み出すリソースしか獲得できないままだと、我々は「自分探し」をひたすら続けることになる。

個人の幸福度をVとすると、これはAだけでなく、B,Cにも(金銭的・非金銭的報酬を通じて)影響を受けるので、

V=A+xf(B)+yg(C)

と書くことができる(VとAの単位は同じとする)。

ここで、f,gは、当該個人が獲得したリソースを通じてそれぞれのコミュニティにもたらした価値B,Cに対して、コミュニティが個人に与える報酬であり、基本的にはB,Cの単調増加関数である。また、x,yは、当該個人がそれぞれのコミュニティから与えられた報酬をどれだけ自分自身の「幸福」として感じるかを表す。

たとえば、x,yの値が共に極端に小さい場合、B,Cの値が大きくても、Aの値が小さければ幸福度は低く、逆にB,Cの値が小さくともAの値が大きければ幸福度は高い。これは、「世俗的成功」を求めず、内発的動機付けが強いパーソナリティに該当する。

また、Bは大きいがCはほとんど0であるような場合、f(B)の値が下落するような社会環境ではリスクが大きい。しかし、xが大きくyがほとんど0であるような(=帰属する第一コミュニティへの忠誠心が極めて高い)パーソナリティの場合は、たとえCを生み出すようなリソースを獲得しても幸福度は高まらないであろう。

我々は、f,gという社会環境を見極めつつ、x,yという自分自身のパーソナリティを自覚した上で、A,B,Cのいずれを生み出すリソースをより重点的に獲得すべきかを判断するのである。