2008-01-01から1年間の記事一覧

「何をしたいかわからない」という問題

おそらく教育と、社会環境の設計によって、自分が何をしたいかを明確にわかっている(と少なくとも自分では信じている)社会構成員の比率を増やすことはできるであろう。そのことによって、一見目的合理的で生産性の高い社会システムを実現できるかのように…

べき論と規範

「〜すべきだ」と言えば、相手がその通りに従うのか。あるいは、「〜すべきだ」と言いさえすれば、自分がなにがしかの責任を果たしていることになるのか。「べき論」に対してはいつもこのような違和感を覚える。 が、しかしだ。 べき論をすんなり受け入れて…

右に押せば右に倒れ、

左に押せば左に倒れる状態で立っているものがある、としよう。 右に倒れれば、やっぱり右だったのだというもっともらしい意味づけがなされ、 左に倒れれば、やっぱり左だったのだとしたり顔で結論づけられる。意味づけへの欲求は、時として事実の把握や幸福…

「交渉力の獲得」としての学び

とある大学で、工業高校の先生を支援する2日間の集中演習をやってきた。企画から携わり、打合せや準備を重ねてきたので相当な時間を費やしたが、それだけの価値はあったと思う。受講者にも、大学にも、何かしら、「自分にしか提供できないもの」をもたらすこ…

コスモポリタン

旅に出ると心地よい。 職場以外の場所で、仕事がはかどる。 本を読むなら移動中か、ふらっと入った喫茶店。 海外に行くと、生きている感覚がよみがえる。もちろんこれらの場所に、「自分の居場所」があるわけではない。 所詮どこにいても感じざるを得ない「…

絶望の記述

私は、絶望を丁寧に記述することによって、希望を見いだそうとしているのだ。そうすることによってしか見いだすことのできない種類の希望を求めているのだ。だから、「絶望するな」と言って、私の絶望の記述を中断させないでほしい。「絶望するな」と言って…

飛行機の窓から地球を眺めていて感じたこと。

我々は、自然界のパターンを自己組織化現象として説明し、そこに美しさを見いだす。 しかし、自然そのものはパターンを認識しているわけでも、何かを「組織化」しているわけでもない。自然そのものは自らの美しさを知らない。 自然の美しさは、観測者である…

軽蔑と憧憬は、

かつては一体のものだった。 一緒に居られなくなって、二つに分かれた。 二つに分かれた後も、すぐそばにいる。

耐えられる程度に抑えた退屈

十代後半から二十代半ばにかけて、身を削りながら考えてきたのは、「自由とは何か」という問題だった。それから先はずっと、その記憶を抱き続けながらも、日々生きていくためにその問題意識を懐柔してきた。それと引き替えに、精神の安定を得た。 面白いと思…

「頭の良さ」という病、「向上心」という病

社会は未だに、これらの治療法を発見できていない。むしろ逆に、社会全体が「これらの治療のため」に回っていると言ってもいいかもしれない。 当然だが、反知性主義、を唱えたいのではない。なぜなら、知性は避けられないのだから。

There will be blood

この作品を構成している3つのシステム。 ビジネスシステム、家族システム、宗教システム。 これらのシステムを相互に噛み合わせることで、この作品に鮮明な奥行きと緊張感を生み出している。特に「宗教システム」を構成要素に加えているところが秀逸である。…

全てのテクノロジーは復讐である

テクノロジーの過剰を非難する者は、まず彼らの怨嗟を手当てせよ。

見果てぬ夢を

それと知らずに見続けることは幸福か。 もし幸福だとしたら、社会がそれを個人に見せ続けることは善であるか。『思考のフロンティア 教育』(広田照幸著)教育分野の評論としてはかなり優れた内容だと思うが、それでもページをめくる毎に疑問があふれかえる。…

民主主義の逆説

民主主義と自由主義の両立しがたい本質を、ナチスの御用学者とのレッテルを貼られたカール・シュミットの思索をあえて手がかりとすることで解きほぐしていく。その上で、シュミットが成しえなかった、新しい「自由民主主義の構想」を、「闘技民主主義」とい…