「何をしたいかわからない」という問題

おそらく教育と、社会環境の設計によって、自分が何をしたいかを明確にわかっている(と少なくとも自分では信じている)社会構成員の比率を増やすことはできるであろう。そのことによって、一見目的合理的で生産性の高い社会システムを実現できるかのように思われる。

これは、我々の「自分が何をしたいかわからない」という状態が「問題」であり、治療すべき対象であるという認識を前提とした考え方である。

しかしそもそも、「自分が何をしたいかわからない」という状態は本当に「問題」なのだろうか?
誰も彼も、自分が何をしたいかわかっている社会というのは果たしてそんなにマトモなのか?

とはいえ、結局のところこのような疑問について考える時間が確保できるかどうかは、冒頭で述べたように設計された社会システムが、そうでない社会システムをどの程度のスピードで淘汰していくかに依存するだろう。