認識論者は認識論を説明できない

「○○は実在するか、それとも認識によって生成されているにすぎないか」という問いがある。

もし、認識論者が「全ての対象は認識によって生成されているにすぎない」と主張するならば、その前提として「認識によって生成されているにすぎないもの」と「そうでないもの=実在するもの」がどのように違うのかを説明しなければならない。そのためには、「実在とは何か」について説明しなければならない。しかし彼にとっては「全ての対象は認識によって生成されているにすぎない」わけだから、「実在」さえもその例外ではない、つまり「実在とは認識によって生成されたものの一種である」と説明するしかない。そうなると、「区別」が消滅し、「○○は実在するか、それとも認識によって生成されているにすぎないか」という問いそのものが無意味なものになってしまう。