持続可能性という欺瞞

ユートピアは死に、代わって秩序無き(思想という意味での)かたちのクリエイティヴィティを、何の抑制もないままにぶちまけること、それは商品支配を実証すること以外のなにものでもない。プロジェクトは商品支配を忌避して存在することなどできないと言い切ること、それは、人はいずれ死ぬのだからプロジェクトする価値はないとか、葬儀品をプロジェクトしていればよいというのも同然なのである。」(エンツォ・マーリ『プロジェクトとパッション』)


何が、持続するに値するものなのか、という問い。
誰にとっての持続なのか、という問い。
それらにおいて「私」はどこに位置を占めるのか、という問い。
持続しないものに価値はないのか、という問い。
そもそも、全ては持続不可能なものなのではないか(あえて言うならば、持続不可能性こそが唯一持続可能なものなのではないか)、という問い。

これらの問いを一度も発したことのない「持続可能性」論者は信用できない。