高度成長期が私たちに「生きる意味を探求する癖」を植え付けた

高度成長期の話。

私たちの「生きる意味」を探求する力は失われていった。

逆だ。高度成長期こそが、私たちの欲求の対象となりうるモノをシステマティックに供給し続けたことで、むしろ私たちに「生きる意味を探求する癖」を植え付けたのだ。高度成長期以前に、私たちの大部分はそんなものを探求したことなどなかったはずだから。
正確に言えば「探求」というほど大げさなものではない。あまり考えなくともだれでもプレー方法を思いつくような簡単な「生きがいゲーム」を提示しつづけ、私たちを「ゲーム脳」にしたてあげたのだ。
だからこそ、成熟社会の今、社会が「私たちの欲求の対象となりうるモノを供給すること」ができなくなってしまったにも関わらず、私たちに植え付けられた「生きる意味を探求する癖」は相変わらず残っているという状態が生じていて、それが私たちの不全感の原因になっているのだ。

生きる意味 (岩波新書)

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