メディアの未来、我々の未来

(1)今日、出版業界は深刻な不況に直面している。しかし、紙のメディアが勢いを失おうとも、「編集」という知的行為の価値は変わらない。ウェブ上で「編集」を活かしたビジネスを展開する方法はいくらでもある。また、出版業界の旧来の収益モデルが機能しなくなったからといって、「編集」という知的行為を収益に結びつけるモデルがなくなるわけではない。これも工夫次第である(『新世紀』)。
(2)ウェブテクノロジー自体がダメなビジネスを上げ底してくれるわけではない。あくまでオフラインでも通用する優れたビジネスを行っていることが大前提であり、ウェブテクノロジーはそれを効果的に展開するための手段にすぎない(『グーグル』)。
(3)マーケットの変化と新しいテクノロジーの台頭は、いずれも古いビジネスモデルの土台を揺るがす。日本において、規制によって既得権益が守られることで成立していた、マスメディアの「コンテンツ」「コンテナ」「コンベア」の垂直統合という収益構造。これが、国民の価値観・ライフスタイルの多様化とウェブテクノロジーの進歩によって崩壊しようとしている(『2011年』)。
(4)「すりあわせ」による垂直統合お家芸としていた日本の製造業は、モジュール化による国際斜形分業を戦略的に推進する欧米企業と新興工業国によって、窮地に立たされている。これからは、研究戦略、知財戦略、事業戦略の3つを兼ね備えたイノベーション戦略を構想・遂行しなければならない(『なぜ事業で』)。


(1)は、価値を生み出す「コアコンピタンス」は何か、という話。(2)は、コアコンピタンスに基づいた具体的な価値の創出の話。しかし、価値を生み出すのは何もコアコンピタンスだけではない。「規制によって保護された既得権益」も立派な価値の源泉だ。この「源泉」が激変しつつあることを「垂直統合」をキーワードに解説したのが(3)。また、コアコンピタンスを権利化、商品化し、普及させるための戦略がなければ、事業としては成功しないということをやはり「垂直統合」をキーワードに論じたのが(4)。

この4冊を読むと、メディアの未来がおぼろげながら見えてくるのではないだろうか。「垂直統合」がダメなら分業か。その場合、どの部分を担うことを狙うのが最も有利なのか、あるいは、現状でどの部分を狙うことがそもそも可能なのか。いずれかの部分を担うとして、事業を成功させるために同時に満たさなければならない条件群はどのようなものか。等等。
それなりに興味深い議論ができそうだが、その前にはっきりさせておかなければならないことがある。そもそもこの話の「主語」は誰なのか、ということだ。日本?マスメディア?特定の新聞社やテレビ局?
我々に、日本やマスメディア全体や特定のメディア企業の心配をしている余裕などあるのだろうか?そのような「心配」に、そもそも何か実効性があるのだろうか?
我々が取り得る、最も実効性のある選択肢は何だろうか?この問いこそが、正にこの4冊が読者に投げかけている問いなのかもしれない。



新世紀メディア論-新聞・雑誌が死ぬ前に

新世紀メディア論-新聞・雑誌が死ぬ前に

グーグルに依存し、アマゾンを真似るバカ企業 (幻冬舎新書)

グーグルに依存し、アマゾンを真似るバカ企業 (幻冬舎新書)

2011年 新聞・テレビ消滅 (文春新書)

2011年 新聞・テレビ消滅 (文春新書)