民主主義の逆説

民主主義と自由主義の両立しがたい本質を、ナチスの御用学者とのレッテルを貼られたカール・シュミットの思索をあえて手がかりとすることで解きほぐしていく。その上で、シュミットが成しえなかった、新しい「自由民主主義の構想」を、「闘技民主主義」という形で提案する。
彼女の提案する「闘技民主主義」とは、静的かつ無矛盾な理想状態としての「安定解」ではなく、動的で矛盾に満ちながら進行する緊張関係そのものを指向する。いわば、「ストレンジアトラクタ」のようなものであろう。
「頭のいい人間」が指向する「理想的な理論」が、その理論の前提条件を満たさない「その他大勢」の人々を取りこぼし、「原理主義」へと走らせる。しかし、「理想的な理論」もまた、「ある種の複雑さに耐えられないがゆえの原理主義」の一類型に過ぎないのだ。
ところで、ムフの議論は、感情的存在としての人間を強調し、そこからハーバマスらの討議民主主義やギデンズの第三の道を批判する。この問題の解明に寄与するのは、もしかしたら政治学ではなく、脳科学なのかもしれない。最近、経済学の脳科学への接近が注目されていることと併せて考えると興味深い。

民主主義の逆説

民主主義の逆説